2012年6月15日   書道教室

 
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 書道教室場所:渋谷区神宮前区民会館3階和室 10:00~16:50 
    参加者:高木、関岡、尾崎、伊藤、小針、小林、瀬尾、
            鈴木和子、風間、内藤、山本

    
 内容:・今回から鈴木和子(11組)さんが参加されました。今年の一紅会
        に参加されましたが当日はすれ違いでした。
       関岡さんと住所が近くだったので、関岡さんが鈴木さん宅
        を訪問し、みづな会に誘いました。

     ・午前中から9名が集まり、「字と書の歴史」を教科書として、悦舟師匠から
        、所帯の変遷、唐代の書家等の講義をいただきました。
 
    ・次回は前半に夏の俳句会を開催することになりました。宿題として二句持参すること。

     ・内藤農園から、今日も産地直送朝採り、大玉のレタスとパセリが
 
    ・甲府の同窓会で販売された、一高制服姿のキティーちゃんストラップを3個販売。
        7月14日の東京同窓会でも販売

     ・これからの目標は3体千字文を書き上げて、展示会を開催することになりました。
 
    ・反省会は何時もの「ゆかり」で開催

千字文とは・・・Wikipediaより
   『千字文』(せんじもん)は、子供に漢字を教えるために用いられた
   漢文の長詩である。1,000の異なった文字が使われている。 

   南朝・梁(502 - 549年)の武帝が、文章家として有名な文官の周興嗣
   (470 - 521年)に文章を作らせたものである。周興嗣は,皇帝の命を
   受けて一夜で千字文を考え,皇帝に進上したときには白髪になっていた
   という伝説がある。文字は、能書家として有名な東晋の王羲之の字を、
   殷鉄石に命じて模写して集成し、書道の手本にしたと伝えられる。
   王羲之の字ではなく、魏の鍾繇の文字を使ったという異説もあるが、
   有力ではない。完成当初から非常に珍重され、以後各地に広まっていき、
   南朝から唐代にかけて流行し、宋代以後全土に普及した。
 
 

午後からは仕事で早退

文字の講義

鈴木さん初参加

関岡さん自宅のビワ

コーヒーのお供
鳩サブレ、豆大福、大銀杏

手元が狂い

今回のゆかりは3階席

上尾から持参

大玉レタスとパセリ

三体千字文
 
雉のつがい